ブログ

アークアカデミー通信1月号

What’s your new year’s resolution?

( 新年の抱負はなんですか?)

年明けの友人との会話。きまって聞かれるのがこの「新年の抱負」。

2021年が皆様にとって、夢に一歩近づく1年でありますように!

さて、世の中「3大続かない習慣」は「早起き」「ダイエット」「片付け」だそうですが、実はその後に続く4番目が「語学の勉強」なのだそうです。私の意見では、早起き・ダイエット・片付けは、結果がすぐに可視化できるので、語学の勉強よりずっと楽だと思います。語学、特に日本語とまったく異なる言語である英語の習得は、本当に時間がかかります。また、結果がすぐに可視化できないので、真っ暗なトンネルの中を光を求めてひたすら歩いている感じさえします。「英語がペラペラしゃべれる」というキラキライメージの陰には、毎日の地味な学習や、反復練習の積み重ね、そして涙もあるものです。

あるマーケティング講習会に参加しましたが、会社のネット宣伝はブログではなく、インスタグラムが主流だと言われ、恐る恐るインスタグラムを始めましたが、「イメージ」ばかりが先走りして、本質的な事は伝わらないものだなと実感しています。英語での流暢なスピーチの様子、英検合格の発表等を紹介させてもらう時もありますが、キラキラしたイメージの裏で、どれだけ皆さんが努力しているかはなかなか伝わらないものです。また、楽しそうに英語学習をしている子供達の背後には、親御さんの家庭学習のサポートや、毎回の送迎、励ましがあるものですが、そうした大切なものはインスタグラムでは可視化できません。

イメージとは裏腹に、英語学習は長い道のりを、とにかく前に一歩一歩ひたすら進んでいく地味な努力の積み重ねです。結果がすぐに出なくても、いつか必ず量に比例した結果は出ます。その結果は、キラキライメージより、もっと広く深く豊な人生の喜びを提供してくれるものなので、それを信じて2021年も一緒に長いトンネルを歩いていきましょう!

アークアカデミー通信1月号ができております。

下記のアイコンをクリックし、ダウンロードをしてご覧ください。

アークアカデミー通信1月号HP

成人の為の新企画 大人のGAME NIGHT

なんだか怪しいタイトルですが、気楽に英会話を楽しめるイベントを企画しています。普段は忙しいパパやママ、英会話をしてみたいけれど、毎週は無理・・とあきらめている方もいらっしゃるのでは?

そんなパパやママ(成人なら誰でもOK)が気楽に参加できるイベントを企画しています。「大人のGame Night」は、欧米の人気ボードゲームを使って、英語のアウトプットとインプットを楽しみます。ボードゲームは子供が対象と日本では思われがちですが、欧米では大人も子供も楽しめる、よく考えられたゲームがたくさんあります。

英語を発話する機会を探されている方、ぜひご連絡ください。詳細が決まり次第お伝えします。

  • 土曜日:午後7時
  • プレイタイム 1時間30分~2時間
  • 参加費:1000円

英会話上級者対象の、RPG(ロールプレイングゲーム)も希望者がいれば企画したいと思っていますので、興味がある方はご連絡ください

英語で会話をするという事

私が中学生2年生の時の国語の教科書に、人間国宝でもある染織家志村ふくみさんについて書かれたエッセイがあり、なんだか深く感動したのを覚えています。美しい桜色の染まった着物は、桜の花を煮詰めて色を取り出したのではなく、桜の木の皮から、しかも桜が開花する直前の頃の山の桜の皮で染めると、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、という事でした。この現象を聞いた著者は、言葉の世界も同じではないかと感想を述べていました。

言葉である英語を考えるときも、この桜のイラストレーションは本質を表しているように思います。桜の花は全体の一部で、大切なのは目に見えない部分です。この目に見えない部分を意識し始めるのは、レベル的には英検1級であったり、TOEIC900点かなと思います。このようなテストのスコアを英語学習のゴールにしてしまう傾向がありますが、実は英検1級、TOEIC900点といのは、コミュニケーションのスタート地点です。何が言いたいかというと、可視化できる技術的な面は全体の10%くらいで、あとの90%は目に見えない部分で、それらがとても重要だという事です。

下の図をご覧ください。これは「iceberg (氷山)model」というシステム思考のモデルです

日本語にも「氷山の一角」という言葉がありますが、一角にあたる部分が技術的な部分で、テキストブックや暗記等で学べる部分です。大切なのは、水面下に隠れている見えない部分です。

言葉というのは、それを使う人々の文化や歴史、伝統、風習、社会、経済などの上に存在しています。そうした土台となる部分を無視して、言葉だけを習得することはできません。TOEIC満点でも、ネイティブのおしゃべりにまったくついていけなかった、というのは珍しくありません。

私自身、日本で必死で英語を勉強し、ラジオ英会話や、CNNなどほぼ聞き取れる自信があったにも関わらず、いざアメリカにいったものの、パーティーでのカジュアルなおしゃべりが理解できず、情けない気持ちになったものです。英語学習をする上で、可視化できない90%の部分を考慮していなかったので、「言葉」としての英語の実力の限界に、すぐにぶち当たりました。

では、何が必要かというと、氷山の上だけでなく、氷山の下をも見据えた学習です。残念ながら日本の教育は、この氷山の下の部分はほとんど無視されてきました。最近の小学校の英語の教科書も、国語の教科書?と一瞬思ってしまうくらい、「日本の価値観という色眼鏡から見た英語」という位置づけのようにも思えました。英語に限らず、「教養を身に着ける」という面は弱いように思います。国が違えば、文化も歴史も価値観も大きく異なります。だから、「ツール」としての英語だけを学んでも、コミュニケーションはうまくいかないのです。

英語上級者を目指す方は、氷山の上も下も同時に学べる「英語で学ぶ」アプローチを早い段階で取り入れていきましょう。技術的な事より、コンテンツに集中できるので、学習プロセスも楽しくなります。勉強というより娯楽になってくるので、無理なく継続できるようにもなります。

ではどうすれば、両方をいっぺんに学ぶ事ができるのでしょうか?

氷山の上の部分は、英語の参考書や単語帳などを使えば、ある程度は学ぶことができまが、下の部分はまったくといっていいほど学べませんよね・・・。話の背景となる重要な社会・文化的知識がないと、映画を見たり、洋書を読んだりしても、すぐにつまずいてしまいます。

ではどうすればいいのでしょうか。

実は、両方を一度に学べるおすすめの学習法があります。それは「多読多聴」です。多読多聴なら、英語を通して、英語圏の文化やアート、歴史など、さまざまな「教養」が身につきます。英語を楽しみながら、氷山の上と下を同時に学ぶことができるのです。当教室で利用している多読アプリは、アメリカの教材らしく、多文化・多様性に触れたお話もたくさん掲載されています。我が家の3年生になる長女は、リンカーン大統領や、ユダヤ教のお祭り「ハヌーカ」、イスラム教徒のラマダン等、世界の偉人やお祭り、歴史、自然、科学や習慣など、多読を通して広く浅く教養を身に着けています。それと同時にボキャブラリーやリーディング力、文法も学習できており、氷山の上と下を同時に効率よく、そして楽しく学べています。多読多聴は最強です!

英語しか学ばないのはもったいないので、ぜひ「英語で学ぶ」に移行し、言葉がもつ奥深い世界を楽しむと同時に、日本以外の価値観の世界での冒険を楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

英語習得:継続こそが唯一の鍵

先週は英検でした。受験された皆さん、本当に頑張りましたね!

英検をきっかけに、より英語に対する知識と興味が深まると素晴らしいと思います。

英検は英語の4技能がテストされますが、小さい頃から英語に触れているお子さんは、やはりリスニングに強いようです。逆に、高学年や中学生から英語を始めたお子さんは、理解力・文法力・語彙力等は強いのですが、リスニングに苦戦している傾向があります。英語の4技能は「読む・書く・話す・聞く」ですが、習得に一番時間がかかるのがリスニングです。特に、ローマ字の学習後は、英語を英語の音として素直に聞き取る事が難しくなります。また、「読む・書く・話す」は自分でコントロールできるのですが(辞書をひく、知っている単語を選べる、時間をかけられる等)、「聞く」に関しては完全に相手次第となり、そこが難しい要因の一つです。

英語の学習は、やる気さえあればいつでも出来ると思いますが、早ければ早いほどよいと思う理由の一つは、時間を味方につけられるという事かなと思います。未就園児や幼稚園のお子さんは、スポンジのほうに言葉を吸収してくれるし、その年齢なりに英語で英語を理解している姿が親御さんのモチベーションとなり、自分自身を思い返しても、一番気合が入る時期だと思います。当教室でも、人気クラスは未就学児・低学年クラスです。

でも、その時に芽吹いてきた英語力がそのまま順調に伸びていくのか・・・という話になると、そうではないと正直思います。本当の勝負の時は小学生4~5年生以降かなと思います。

10歳前後というと、急に理解力が伸び始める時。英語の理解も深まり、これから伸びる!という時期にフェイドアウトしてしまうケースがよくあります。それは、親御さんの情熱が薄れる場合であったり、時間の問題、自我の問題、学校との両立などの壁が小学生以降ドーンと目の前に立ちはだかってくる時期であったりするためです。一番英語学習においても脂がのってくる(?)時期が、塾等で子供たちが忙しくなる時期と重なり、両立ができなくなり辞めてしまうというケースが多いのは、しょうがないと思いつつも本当に残念だなと思ってしまいます。学年が上がるごとに英語に取り組める時間がみるみる減っていきますが、語学習得はやめたら終わりです。コツコツと毎日毎日スモールステップでも前に進んでいくしかありません。

小学校高学年以降も英語学習を継続する事は、物理的にも心理的にも難しいことだと痛感しています。特に中学生になると、語学学習において最適な時期であるにも関わらす、テストや塾、部活で忙しくなり、英語のインプットに充てられる時間が本当に少なくなります。この時期から英語の多読やリスニングを始めようと思っても、英語のテスト勉強の方が圧倒的に比重が大きくなり、時間の確保は至難の業です。

できれば中学生になる前に、「英語のある生活」を習慣化する事を強くお勧めします。“お勉強”になってしまうと長続きしないので、生活の中に英語を取り入れる事だと考えてください。そして、習慣化してしまうためにもまずは時間探しが大切です。朝の身支度の時間は必ずかけ流しの時間にするとか、晩ご飯の前は英語の本を読むとか、寝る前はベッドタイムストーリーを楽しむなど隙間時間を利用していくのも方法の一つです。小学生になるとなかなか腰を落ち着けてDVDやアニメを長時間視聴するというのが時間的に難しくなるので英語アニメの視聴は車での移動時間を充てるとか。一つ一つに掛けられる時間は短くても塵も積もれば山となる、でルーティン化してしまえば1年でかなりの時間を英語のインプットに充てる事ができます。まずは時間の確保、そして習慣化する決意です。しつこいようで申し訳ありませんが、英語学習はやめたら終わりです。積み上げてきた実力が、短期間であっという間に振り出しに戻ります。 でも、 継続できれば必ず実力となって表れます。

英語習得は時間はかかりますが、英語によってもたらされる豊な人生を考えると、やりがいのある挑戦だと思います。継続こそが、最大のハードルと同時に、成功への唯一の鍵だという事を忘れないで欲しいと思っています。

英語暗唱「ケネディ大統領就任演説」

高校1年生のYちゃん、ケネディ大統領就任演説の暗唱にチャレンジしてくれています。
3分近くの長い文+内容は上級英語、本当に頑張って練習に励んでくれています。情熱のこもったYちゃんの言葉の中にケネディ大統領の思いが伝わってきて、聞くたびにクリストファー先生は涙ぐんでいました・・
 
このビデオクリップは演説の中でも特によく知られているフレーズです。

 
And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you—ask what you can do for your country.
 
「ですから、アメリカ国民の皆さん、国があなたに何をするかを問うのではなく、あなたが国に何ができるかを自問してください。」
 
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.
 
「世界市民の皆さん、アメリカがあなた方に何をするかではなく、私たちが一緒になって、共に人類の自由のために何ができるかを問うてください。」
 
この演説が行われたのは、第2次世界大戦後の冷戦の真っ最中。アメリカた直面していたのは、当時のソビエトとの対立構造。緊迫した社会情勢の中での演説でした。時代背景も何もかも違う時代の話ですが、今でも真理をついた言葉が胸に響きます。
 
9月より、「自助・共助・公助・絆」を掲げて菅政権が誕生しましたが、すっかり皮肉れ者になってしまった私は、「また国民に投げ出しか??」と反応してしまいました(笑)。自助という考え自体は私も同感するのですが、優先順位をつけているところがどうもキナ臭いと思っているのかもしれません。
 
最近のアメリカや日本の現状を見ていると「民主主義の限界」を感じてしまうのですが、民主主義って、まず「国が何かをしてくれるのを期待するのではなく、まず国のためになにができるか」を自問できる自立した国民の集合体という事が前提でなければならないような気がします。国がなんとかしてくれる、学校がなんとかしてくれる、政治家がなんとかしてくれる、経済がなんとかしてくれる、という妄想を抱いていると、不満・不安しか生まれてこないように思います。
自分で自分を助ける(自助)だけではなく、自分は人のため、国家のため、人類のために何ができるか、と一人一人が自分の枠を超えて考える事ができれば、世の中の問題が少しづつ解決していけるようにも思います。

英語学習への動機づけ

皆さんはエスニックジョークをご存知ですか?

エスニックジョーク とは、ある民族の民族性、もしくはある国の国民性を端的にあらわすような話によって笑いを誘うジョークのことです。国民性や民族性を大げさに皮肉るということで、笑うに笑えない時もありますが、自分の意志で選択して行動していると思っていたことが、実は文化によって支配されている場合が多いという事にも気づかされます。

 

このエスニックジョークに沈没船ジョークと言うものがあります。

豪華客船が沈没して、多国籍の人々が、救命ボートに乗りました。しかし定員オーバーで、男の人たちに降りてもらわないと沈んでしまいます。

そこで、人々はアメリカ人に対しては、「あなたはここでヒーローになれる」と言いました。アメリカ人は、ガッツポーズをして海に飛び込みました。

次にイギリス人に対して「あなたは紳士だ」 と言いました。イギリス人は、うなずいて海に飛び込みました。

ドイツ人に対しては「あなたは、飛び込まなくてはならない、それがルールだ」 と言いました。ドイツ人は納得して海に飛び込みました。

日本人に対しては「あなた、飛び込まなくていいんですか?ほかの男の人は、みんな飛び込みましたよ」と言われました。すると日本人は、左右を見渡すと慌てて海に飛び込みました。

中国人に対しては「海に美味しそうな魚がいっぱい泳いでますよ」と言いました。中国人は、上着を脱いで網代わりにして海に飛び込みました。

韓国人に対して言おうとした時、ある一人がそれを止めました。「何故止めるのですか?」

「やめておけ、後で服が濡れたと謝罪と賠償を要求される」

 

これが世界的に日本の国民性として認知されているというのは、若干皮肉なことではありますが、コロナ関連の現象で、この国民性は顕著に表れてきているなと感じています。法治国家ではなく村社会??と感じてしまう事もしばしば(泣)。

それはさておき、この「みんながしている」というメッセージが、明らかに私達日本人の行動を促す原動力になるのだったら、「グローバル社会で活躍できるわよ~」とか、「英語ができなければ将来大変よ~」とか、「世界中にお友達ができて楽しいわよ~」なんていう言葉より、「みんなやっているわよ~」という言葉の方が、親も子もなんだか安心して行動できるような気がします。

私事で恐縮ですが、我が家の中1になる長男は、今年より学校に通うのではなく、基本家庭で学習するホームスクーリングという選択をしました。私達親も10年ほど考え抜いた事で、全力で息子をサポートしてあげたいとは思っているのですが、みんなと違う選択をしている、という事実に不安になってしまう事もあります。良し悪しに関わらず、日本人の私にとって「みんなと一緒」は安心感を得られるものだなと実感しています。一方、アメリカ人の夫にとって「みんなと一緒」は危険な場合が多いという認識のようです。真理は常に「狭き門」にある、という強い信念には感心させられますが・・

「英語はみんなやっているわよ」というのはけっして脅しでも(?)嘘でもなく、「英語がしゃべれて当たり前」な地域は日本でもたくさんあります。東京に住んでいる知人のご近所さんは、帰国子女やインターに通っているお子さんが多いらしく、英語と日本語がしゃべれて当然の雰囲気の中で生活しているようです。当校でも「英語で多読クラブ」というクラスがありますが、英語での質疑応答やプレゼンなどが活発に行われていますし、去年のクリスマスパーティーでは、生徒さん数名に詩の暗唱を皆の前で発表してもらったのですが、それを見て英語が勉強したい、と思ったお子さんも何人かいらっしゃいます。「自分と同世代の子が英語で楽しそうに話している」というのを目の当たりにすればカルチャーショックを受けると思いますし、「え~~~すごい!」という感覚が、英語を勉強したいという動機に繋がっていくケースも珍しくありません。

やる気スイッチの入れ方というのは英語だけでなく学習において永遠のテーマです。自ら夢を持ち自発的に学んでくれるようになるのが理想だというのはわかっていますが、それは現実的にはなかなか難しいこと。英語を始めるきっかけとして、「みんなやっている」というメッセージで動機付けをしてあげて、「英語って面白い」と子供が感じるように軌道修正をしていくのも悪くないようにも思います。また、英語が身に付くためには継続するしかありませんが、継続するには親御さんのサポートは必須です。親御さんのモチベーションを保つためにも「みんなやっている」環境を意識的に見たり聞いたりするのもよいかもしれません。

世界で活躍!英語で国際協力!なんていう華やかな言葉より、少し肩の力をぬいて、現実的な言葉で動機を促してみるのも人によっては効果的かも??

どうせなら、ゆるやかな「同調圧力」が英語力の底上げとして機能できればよいのにな~と、「マスク警察」などのニュースを憂いを持って眺めながら、そんな事をぼんやり考えています。

多読で「使える英語」を身に付けよう!

 

 

コロナ自粛時の家庭学習サポートの1つとして多読アプリの「Razkids」を無料提供させていただきましたが、7月より有料貸し出しをさせていただいております。この機会に改めて、このアプリの素晴らしさをアピールさせていただきます!!「Razkids」は多聴・多読を目的としたアプリです。なぜ多聴・多読をお勧めするかというと、英語を英語で理解する「英語脳」の育成に絶大な効果を発揮するからです。ほぼ日本語オンリーの環境で育つ子供達(もちろん大人にも)にとって、多読は英語脳を育成する事ができる、とても有効で効果的なツールなのです。

 

では多読とは何かというと、

 

  1. 自分の現在のレベルより少し簡単な本を、
  2. 速く
  3. 大量に読むことです。

 

この外国語学習における「多読」の概念って、英語の学習においても「精読」をコアとした勉強法を経験した私達保護者の世代にとっては少し戸惑いを感じるかもしれません。

多分、30代~50代の親の世代は、

 

  1. 自分の現在の力より少し難しいものを、
  2. ゆっくりでもいいから、
  3. 2~3行ずつ、正確に訳す

 

上記のような考えが主流で、「単語の意味が分からなくても、自分にとっては簡単な本をとりあえず多量に聴く・読むだけでOK」なんて許されない!と強い反応を示される方もいらっしゃいます(笑)。自分が学んだ方法が絶対で、それ以外の事は受け入れられない、という気持ちになるのは分かりますが(特に成績が優秀だった方にその傾向が強いように思います)、今までの思い込みを捨てて、とにかく多量に読む・聴くだけでいい、と気楽に英語を向き合ってもらえればいいのです。

実際、小学生で英検準1級に合格したお子さんの勉強法は、自分のレベルより少し簡単な英検3級~準2級レベルの本を早く大量に読むという事で、特に文法や過去問に特化した勉強法ではありませんでした。

 

英語を英語で理解できるようになるためには、英語の本を大量に読む事はとても重要なのですが、日本では英語図書館のようなものがなく、自分に必要なレベルの本を大量に読む事がなかなか難しい環境です。また、それらの本を購入するとなると、かなりの投資額ともなります。投資した分、利回り(?)が大きければいいのですが、子供によっては興味のない本はまったく読まなかったり、音声がついていなかったり、音声がついていても流すのが面倒だったり、1冊500円でも1回しか読んでくれず、なんだかもったいなく感じたり、自分の子供の適当なレベルが分からなかったり(←これらすべて経験済み)、気楽に大量の本に触れる機会が限られています。

 

このような状況の下、私自身も悩みを抱えていたので、Razkidsとの出会いはまさに救世主の到来でした!!このアプリでは、英語本のレベルがAA~Zの27まで細かく分かれており、それぞれのレベルの本を80~120冊読む事ができます。それらの本を読み終えると、確実に英語力が上がっているので、次のレベルの本への移行がスムーズに進み、少しずつ確実に英語の力がついてきます。音声もついているので、聴く力もつき、発音が分からないという心配もありません。慣れてくれば、子供一人でも読み進める事ができないので、保護者様の負担も紙ベースの読書に比べて少ないと思います。

 

うちの長男が多読アプリを使いだしたのは小学4年生の秋。英検5級の模擬テストの問題が読めず、半泣きになってしまった事がきっかけです。英検は英語が「読める」事が前提条件。読めないと太刀打ちできないテストです。理解力・リスニング力・会話力が高くても、「読み」ができないとどうしようもありません。それから毎日少しずつアプリを使って読む練習をし始め約2年半過ぎましたが、あの時に読む練習を始めさせて本当に良かったと思っています。読む力が伸び始めると、それに伴い不思議と理解力や会話力、語彙力・文法力も伸びてきて、「読む」事によって英語の土台が作られている事を実感しています。

 

「多読」とは文字通り「多く読む」事です。たくさん読めばいいのです。「この単語の意味は分かった?」「ちゃんと内容を理解しているのかしら?」と気にする必要はありません。本にある絵を見ながら、英語の意味を予想したり、何度も同じような英語のパターンに触れたりしながら、なんとなく状況が目に浮かぶ、程度で十分です。「いい加減がいい(良い)かげん」ときっぱりさっぱり割り切ると気が楽だし長続きします。

 

また、「多読」の副産物として、状況や全体から意味を類推する力が付くように思います。

「精読」になれてしまうと、未知の単語に出会った時、その単語の意味に執着してしまい、全体を読み取る事ができなくなってしまいます。会話でも、分からない単語や聞き取れないフレーズが出てきた途端、頭が真っ白になってしまう経験は英語学習経験者なら誰でもあるのではないでしょうか? でも、相手の表情やジェスチャー、声のトーンやタイミング、会話の流れなど、状況を見ながらだいたいの意味を類推する力って、会話の上達には欠かせない技術だと思います。

 

英語は「教えてもらう」事も重要ですが、学んだ事を実践しないと身に付きません。手軽に実践の場を提供できるのが、この多読アプリ「Razkids」だと思うので、興味のある方はぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

なぜ日本の子供達は「間違う事」に恐れを感じるのか?

 

 

 

アフリカ研究に没頭していた学生時代。その頃の私の頭の中はアフリカ一色だったような気がします。アフリカって日本とはいろんな意味で対局に位置しているような土地で、自分が持っていた常識をことごとく覆されました。

その後アフリカ以外の外国も訪れるうちに、日本の常識こそが世界の非常識なんだと思うようになりました(笑)。バスや電車が時間通りに来る事なんてほとんどないし、道を聞いても適当だし、注文した料理は出てこないし、定価なんてあってないようなものだし、日本の常識からだと間違いばかりです。だからこそ、間違いに対してとても寛容だなと思う事がしばしばありました。おっちょこちょいの私は失敗を本当にたくさんしてきました。でも、「しょうがないね、人間だから。でも同じ間違いはしないように気をつけようね。」という柔らかいクッションがあったので、失敗から楽しく学ぶ事ができました。

 

一方日本にいて感じるのは、「こうあるべき」という事がやたらと多い事です。和を保つための暗黙の合意があり、それがよい意味で機能する時は、世界でも稀に見るくらい素晴らしい国民性を発揮します。でも何らかの危機的な状況や、思いがけない厄災が発生したときに、その「こうあるべき」という暗黙の合意が、今回のコロナの件でも見られるような「自粛警察」なるものを生み出したり、多様性を排除する動きを助長したりするのかなとも思います。

 

何が言いたいかというと、英語を学習する上で、この「間違いに対して不寛容な空気」は大きな弊害になるのでは、という事です。子供達を観察していると、年齢が上がれば上がるほど、間違えに対しての恐れが大きくなる傾向があります。あんなに活発におしゃべりしていたのに、高学年になった途端、ほとんど発話しなくなったな~と思ってしまう生徒さんも少なくありません。もちろん、自我に目覚める時期、自分や他人の存在が必要以上に気になる年齢という事もあるかと思います。でもそれ以上に、間違ってはいけない、間違いはダメなこと、間違う事は恥、という一種の呪縛のようなものを感じてしまうのです。

でも言葉は間違いながら習得するもの!使って、直して、使って、覚える。この繰り返し。もちろんスペルなど明らかに「正解・不正解」で判断できる事もありますが、いろんな言語がミックスされ、日々進化(変化?)している英語はスペルや文法、発音の仕方も国によって違うし、例外だらけなのが英語の特徴なのです。

 

この「間違いに対する異常なまでの恐れ」はどのように作られるのか、理由はいくつかあると思いますが、その一つは、大学受験を核とする日本の教育システムではないかとも思います。日本の一般的な教育は、「正解・不正解」を判別する能力を育成する傾向にあるなと、テストの内容を見ていると感じています。例えば、英語だけでなくすべての記述式テストにおいて書き間違えというのは致命的です。漢字を間違えるのもひらがなを書き間違えるのも全部✖になってしまいます。文法、出題の意図には合っているのに一か所スベルミスがあるだけで×になります。完璧でないと減点になってしまう、こういったマインドセットがゆっくりじっくり「正・誤」という二元的な思考を作り上げていくような気がしてなりません。このように世の中を「正・誤」という二元的な思考で見てしまうと、間違いを成長の過程として楽しむ余裕がなくなってしまうと思うし、すべての事に対して正しい答えがあるはず、という妄想を育んでしまうようにも思います。

 

このような二元的な価値観が蔓延していると、完璧でないと英語を発話したくない、という気持ちになるのもしょうがないのかもしれません。英会話の先生は、「どんどん間違いながら英語を学習しましょう」というメッセージを発信するのですが、一方学校からは「一つでも間違ったら減点しますよ」というまったく違うメッセージを植え付けられます。「みんな違ってみんないい」というメッセージと並行して、「人と違う事をしたら、内申点で減点された」という事もしばしば。ダブルスタンダードの狭間で子供達も混乱してしまいますよね。

 

ちなみにアークアカデミーは英語の多読を強くお勧めしていますが、多読が良いと思う一つの理由は、分からない単語はあまり気にせず、文脈から意味を読み取る訓練ができるからです。一般に、学校の国語授業では行われるのは精読です。1つ1つの文を事細かに分析し、正しく理解する事を重要とします。でも一つ一つの単語に囚われすぎると、全体が見えなくなってきます。コミュニケーションにおいても間違いに気を囚われすぎると、その本質がつかめなくなってきます。会話の途中で知らない単語が出てくると、その途端頭が真っ白になって、会話についていけなくなる人も多いと思います。文脈(相手の表情、タイミング、声のトーンなど、言葉以外の事も含みます)から細部を察する力は、コミュニケーションにおいて、とても重要な技術なのです。

 

「人前で間違いたくない」という恐怖観念は、文化によって形成されている場合が多いと思うので、「日本」という価値観を絶対視せず、自分達の持っているものの見方や考え方のバイアス(偏見)を少しづつ取り除いていければ、もっと気楽に英語学習を楽しめるのではないかと思います。

英語発音の上達のコツ

 

 

今年もBAIKA英語暗唱大会に、数名の生徒さんが参加してくれます!

この暗唱大会後は、生徒さんのモチベーションもアップするし、何より英語の発音がとてもきれいになっているように思います。客観的に自分の発音を聞いて矯正するいい機会になっているようです。

 

日本の英語教育は、まだ残念ながら「カタカナ英語」と「和訳英語」が刷り込まれるように思います。特に「カタカナ英語」に関しては、1度洗脳(?!)されてしまうと、それを修正するのは本当に大変です。年齢が上がれば上がるほど、素直に英語を聞いてそのまま発音する、という事ができなくなってきます。なぜ正しい発音が身に付かないのか、いろんな理由があると思いますが、その理由の1つは文字に引っ張られてしまい、思い込みで発音している場合が非常に多いからだと思います。

ネイティブの子供が発音を身に付けていく順番は:

たくさん聞く→耳が育つ→発音できるようになる

これは基本的にノンネイティブも同じです。まず音をたくさん聞く、これは基本中の基本ですが、日本人はこの聞く量が圧倒的に足りていません。耳が育つ前に文字(特にローマ字)が導入されるので、どうしても音より文字に頼ってしまう傾向が強いです。中学校の教科書をみると、いきなり月名や数字、曜日など、ネイティブの子供がよく間違えるようなスペルを覚えさせられますが、それらを書けて読める生徒はいても、ちゃんと発音できる生徒は極々わずかです。ちなみに、文字の「読み・書き」は個人差がとても大きいです。生徒さんを観察していると、文字を読んだり書いたりする事が苦手な生徒さんは、文字ではなく耳を頼りにするので、発音がとてもきれかったりします。ネイティブのように発音できる生徒さんが、簡単なフレーズを読むのに苦労しているというケースは珍しくありません。

 

発音矯正の本等を見ていると、口の開け方や発声の仕方、舌の位置関係などの説明がまず出てきます。これらはもちろん大事なのですが、一番大事なのはまず「聞く」事です。テキストの付属の音声等があれば、テキストを見る前に黙って「聞く」事。英語はピアノや他の楽器と同じように音感を身に付ける事がとても大切です。1~2週間くらい聞き込み、発音を真似してみてください。聞いた音が文字を見ずに再生出来始めたら、テキストを開いて文字と音を一致させる、この最後の段階で文字の力が生きてくるのです。当校では今年度より「BBカード」を導入しましたが(コロナ感染防止の観点から、ゲームで遊ぶ事は控えています)、文字は見せずに聞いた音をそのまま再現してもらいます。これは音感を鍛えるもので、意味や文字は後回しです。不思議な事にスラスラ発話でき始めると、意味がだんだん理解できるようになってきます。

 

英語には日本語にない音がたくさんあります。発音記号を学んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、カタカナで「ア」の一文字だけで表せても、英語では10以上の音の出し方があります。発音記号があれば見分ける事ができますが、これらの記号をすべて暗記しなければならないとなると時間がいくらあっても足りません。でも音として何度も聞き耳で覚えると、発音記号を知らなくても、難しい母音の聞き分けもできるようになってきます。

 

英語の音をたくさん聞き、その音が再現できるようになってきたあたりから、ネイティブに発音チェックしてもらうと効果的です。日本人が苦手とする音はたくさんありますが、中でも子音の:

v,f, r, th, l,s 等はよく間違っているように思います。細かい発音は気にしなくていいと思いますが、これらの子音は間違えると全然違う意味になったり、通じながったりするので、意識的に矯正した方がいいです。

基本的な発音の基礎ができれば、あとは多聴・多読などの実践を積む事によって発音が自然に上達していきます。

聞いて、真似て、直して、実践

この順序を忘れないように英語の発音練習を楽しんでみてください!

本当に必要?小学校のローマ字学習

 

 

 

長かったSTAY HOME, 溜まりにたまった学校からの課題、半ば親子で泣きそうになった日もありました・・

 

うちの長女は小学校3年生ですが、多大な課題の1つにローマ字練習がありました。英語を先に学んだ長女にとっては、疑問だらけのローマ字。「これは英語じゃなくて日本語だよ」と強く念を押しておきましたが、納得のいかない様子。

 

このローマ字学習、問題点が2つ浮かび上がってきます。

 

第1の問題点は、「訓令式」と「ヘボン式」が混在しているという事。ローマ字学習はそもそも英語ではなく「国語」として学習します。ローマ字は人名や地名を書くためにあるのではなく,日本語の文章を書くためにあります。つまり,ローマ字は日本語の表記法のひとつです。小学校で学習するこうしたローマ字は「訓令式」となります。

 

一方、一般に使われているのは「ヘボン式ローマ字」。これは外国人にも日本の固有名詞や名前が発音しやすいように考えられたものです。パスポートに記載する名前や、コンピューターの入力もすべてヘボン式となります。では、小学校で頑張って学習する「訓令式」はいつ使うのでしょうか? はっきり言って小3の興味津々でせっかく勉強した訓令式は、ほぼ一生使うことはありません。

では、訓令式とヘボン式で大きく違うところは、というと、

 

訓令式 ヘボン式
サ行 si shi
タ行 ti , tu chi,   tsu
ハ行 hu fu

 

ア行~ンまででは、この4文字が違うだけなので(+拗音もありますが)

初めからヘボン式を教えていった方がよっぽど効率的だし、お子さんにとっても負担が少ないはずです。国語の観点から訓令式を教える理由もあるのは分かりますが、この際、一生使うことの無い訓令式は、きっぱりと止めて、最初からヘボン式に統一した方が良いのでは、と思います。

 

第2の問題は、日本語発音が刷り込まれるという事。

 

小学校3年生くらいから、生徒さんの発音に変化が見られ始めます。英語らしいきれいな発音がカタカナ英語になっていくのがこの時期からです。これは、ローマ字教育が大きく影響しているように思います。語学の基本は「音」。語学は音から入る事は鉄則です。私自身、新しい外国語を学ぶ時いつも最初にやる事は、文字は見ずに付属の音声を「音楽」と思ってひたすら聞き流しする(毎日約3時間)。どの言語も音素数は数十個程度なので、1か月もすれば、ほとんどの音を耳が識別し、近い発音ができるようになっています。文字は後回しです。なぜ音声の聴き込みを最初にやるかというと、一度、「文字」学習を始めてしまうと、スペルに引っ張られたり、意味を考えてしまい、純粋に音として聞くことができなくなるからです。文字を学ぶ前に、その言語の「音」だけを大量にインプットし、耳を育てる。幼児の言語習得プロセスと同じです。

でもローマ字を刷り込まれる事によって、英語の音を日本語で探そうとします。初めて英語に触れるお子さんにとっては、ローマ字=英語という間違った考えが植え付けられていきます。そうなると、これからの英語学習が本当に大変になってきます。

 

ローマ字は日本語を英語表記にするには便利なツールかもしれませんが、それだけの為に予想される犠牲の大きさを考えると、ローマ字学習って本当に必要?と疑問に思ってしまいます。英語が定着した後にローマ字を学習した方が、混乱がなくてよいような気もします。