アークアカデミー通信

アークアカデミー通信3月号

政府は3月13日からマスクの着用について 個人の判断に委ねる方針を示しました。「任意」から「個人の判断」??私の国語力の問題なのか、「ちょっと何を言っているかわからないな~」と皮肉をボソっともらしたくもなりましたが、まずは一歩前進。健康な子供にマスクは害でしかなかった・・と個人的には思います。

「小さな子供は表情が読めないと、脳と心が育たたない」という京都大学の脳学者の衝撃的なレポートを読み、「感染予防対策」がもたらした弊害の大きさに、保身に走ってしまった我々大人の責任を重く受け止めています。子供は真似して学ぶ事が基本。英語に関しても、音を真似するだけではなく、口や舌の動きを真似する事がとっても大切です。特に子供は無意識に口の動きや表情を見ていて、まさに五感をフル回転させながら学んでいます。

また指導する側も、発音の矯正は、まず口と舌の動きから入るものですが、マスクをすることで、声も聞き取りにくいし、口の動きも見えない。子供達もマスクをしているとしゃべりにくいのでボソボソ声になってしまう等、消化不良な気持ちを抱えてしまう事もしばしば。日本語にないfやth、pやbといった破裂音は、視覚と音声の両方で学ばなければならないのですが、3年間のマスク生活で、「口元を見る」という行為が自然にできなくなってきているように感じます。相手の表情が読めないって大人にとってもストレスですが、子供達にとっては計り知れないほどのダメージを与えているのではないかと危惧しています。

あまりに定着しすぎたマスクから素顔への移行は時間がかかると思いますが、子供達の心と体が健やかに育つ健全な社会を創っていくという大切なゴールを目指して、素顔の笑顔が溢れる日常を取り戻していきましょう!

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アークアカデミー通信2月号

大学入試共通試験が終わり、いよいよ受験生にとってはラストスパートの2か月になりました。体調を整え、睡眠を充分にとり、100%の力が受験で発揮できますように。

中学受験においても最近「英語入試」という言葉を聞かれるようになりました。我が家の長女は今年4月から6年生になるので、私も本腰(?)を入れて、この英語入試を調べ始めたのですが、大学入試改革や小学校の英語の教科化の影響もあってか、中学受験で英語入試を実施する学校が年々増えている事に驚きました。

また、最近の中学受験の英語入試においては、「英検取得者が優遇される」という学校も増えてきています。中には入学金や授業料の免除があったり、英語そのものの入試科目が免除される等、様々な優遇制度が用意されており、英検を取得しており、英語入試で中学受験する場合は、このような優遇制度がある学校を選ぶことは大いにアリだと思います。

高校や大学入試のみならず、中学受験にも英語が力を発揮します!英語入試や優遇制度の活用を視野に入れ、小学生のうちに英検準2級以上を取得されたい方には、英語の多聴・多読を強くお勧めします。試験や英検に役立つだけではなく、使える英語にも繋がり、人生の選択肢に広がりを持たせる事が出来ると思います。

我が家の長女にも多読・多聴をさせていますが、親子喧嘩をしながらも(笑)、とにかく継続させた甲斐あってか、英検準2級程度の問題は感覚的に解けるようです。毎日20分の取り組みが成果となって可視化され、親子共々、更なるやる気に繋がっていっています。

4月より、「英検+文法コース」の開講や英語の多聴・多読のアプリの活用等、より皆さまのニーズに沿ったサポートをご提供させていただく予定です。詳細はまた別紙にてご紹介させていただきます。毎日15~20分間、ぜひ自宅でも英語時間を捻りだしてみて下さい。

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アークアカデミー通信1月号

Happy New Year!  明けましておめでとうございます。

車の技能試験に不合格になってしまったアメリカ人の私の親友(涙)。アメリカ人が日本の免許に切り替える際、技能試験を受ける必要があります。この技能試験のハードルが高い!なぜかというと、技能試験の合格基準は、「事故を起こさない安全運転が出来るか?」だけではなく(試験全体の20%の評価くらいでしかありません)、安全確認の順序、ウインカー点灯秒数などの教習所で教わった運転方法を100%求められるからです。ルールを守る事が最も大切なのです。本来ルールは目的を達成するためのものである筈なのに、日本ではよくルール自体が目的となっているケースが多いようにも思います。

例えば、将棋の佐藤天彦九段が対局中にマスクを着用しない違反行為で、反則負けになったというニュースが話題になりましたが、そもそも将棋の対局中は喋らないのに、マスク着用のルールがあることが異常です。目的の達成に貢献しないルールは自由を奪う害になります。このニュースを見ておかしいと思えないなら思考停止の極みです。学校の校則も、目的が分からないルールがたくさんあり、尾崎豊の歌が心に響いたというパパやママもいらっしゃるのでは(笑)?

公教育の英語に関しても、教科書に記載している事を忠実に暗記する事ができるかどうかが目的となっているのでは、と思う事がしばしばあります。「高校3年生までに、英語のニュースが聞き取れ、ハリーポッター程度の本が読めるようにする」というような具体的な目的を設定し、その目的達成のために注力した方が、効率的・効果的なような気もします。4技能の実力向上はもちろん理想ですが、限られた時間の中ではまずは優先順位をつけて取り組んでいかないと、どれも中途半端に終わってしまいます。

「英語を制するものが受験を制する」という言葉も聞かれますが、試験ではよい点が取れても、実際に使える英語が身につかなければ意味がありません。英語評価の基準を変え、現実的な目的設定を検証してくれれば、英語嫌いも減るのでは、と妄想にふけながら新年を迎えています。

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アークアカデミー通信12月号

 

 

アメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトの著書『菊と刀』には、日本人の国民性を研究したものが記されています。その中で彼女は、欧米では内面の良心を重視する(罪の文化)のに対し、日本は世間体や外聞といった他人の視線を気にする(恥の文化)と考察しました。日本人の行動を規制するのは内なる良心ではなく、人の目(世間)であると記されています。どちらの文化が良いとか悪いとかいう問題ではなく、自分が背負っている文化を客観的に評価することによって、なるほど!と納得がいくことがよくあります。

例えばある調査では、「マスクが外せない」理由は科学的根拠より、人の目が気になるからと答えた人が75%だったそうです。中高生では、自分の素顔を見せる事自体が恥ずかしくてしょうがない、と感じている子供達が増えているそうです。多数派の意見や方向に従う事が「正義」という暗黙の空気が満ちている、そんな気さえします。

この恥の文化は、ひょっとして日本人の英語習得は阻む要因にもなっているのではないかな~と思う事がしばしばあります。とにかく間違う事が心理的に重いというか、耐えられないというか・・・特に英語ビギナーにその傾向が強く見られるように思います。「恥」の感情にとらわれてしまうんです。実は私自身もそうでした。私たちは偏差値教育の中で英語を学ぶことをほとんど制度的に強要されてきたので、無意識のうちに「人と自分の英語を比べる」ことをしてしまい、「間違いはダメな事」だと刷り込まれているのです。

逆に、英語上級者は、自分はまだまだ英語ができないという、ありのままの自分を認め、素直に学べる人が多いような気がします。なので伸びしろが大きいのが特徴です。

結局「恥」って自意識過剰によるもの。自分は自分、他人は他人という、健全な個人主義もバランスよく養っていきたいものですね。

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アークアカデミー通信11月号

 

 

先月、小学高学年クラスをクリストファー先生が不在の間代講させていただきましたが、10歳前後の子供の脳のしなやかさに感心しっぱなしでした。

小学校高学年くらいになると、驚くほど理解力が伸びます。テキストの開けたページで一番長い単語を20秒で覚えて、見本を見ずに書く、なんていう作業もしましたが、フォニックスの基礎が入っているので、暗記をしなくてもスラスラ書けるし(書いた単語はhippopotamus) 、教科書の文章(4~5センテンス)を2分で暗記し暗唱するという作業も、ものすごい集中力で取り組む事ができています。このレベルになると、会話のキャッチボールが楽しめるようになり、「英会話」らしくなってきますね~。

英語の低年齢化が進み、小さい頃から英語を始めるお子さんが増えてきましたが、それと同時に小学高学年くらいから塾等で忙しくなり、「英会話」を辞めてしまうお子さんも以前より増えてきたように思います。しょうがない事だとは思いつつも、もったいないな~という気持ちでいっぱいにもなります。テストが目的の学習に移行するにつれて、正解・不正解の2元的価値観を植え付けるというか、あんなに自由に発言していた子供が、間違いに対して異常なまでの恐れを感じるようになり、急に会話ができなくなります。正しい答えでないと恥ずかしくてしょうがない、そんな感じなんです。経験的には、テスト中心で「正しい答え」を覚えこまされた人って、英検1級レベルでも使える英語にほど遠いケースが多いように思います。

若い時こそ小さな間違いをたくさんして、免疫力をつけていく絶好のチャンス。大人の役割は、子供が安心して間違いを経験できるセーフティーネットを張り巡らすこと。英語学習に限らず、子供のうちに子供らしい間違いをたくさん経験して、本当の試練に直面した時に、立ち向かう事ができるしぶとい精神を育んでほしいと願う毎日です。

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アークアカデミー通信10月号

 

やる気スイッチみたいなCMがあるようなのですが、「やる気スイッチ」って本当にあるのでしょうか?

保護者の方からも、うちの子にやる気を出させるにはどうしたらよいですか、というような質問を受ける事がありますが、東京大学の池谷裕二先生によると「やる気」は存在しない事が科学的に証明されているそうです。やる気は行動を起こす要因でなく結果。やり始めない限り、いつまでもやる気は出ません。

皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか?家の掃除や草取り、やる気が出るまで待っていたら、いつまでたっても始まりません(笑)。でもいざ始めると、10分のつもりが1時間も作業に熱中していたり、掃除だけでは物足りず、部屋の模様替えや断捨離にまで発展したり・・

どうも「やる気」というものは「やる気」のない人間によって作り出された虚構のようです。まずは行動する事で結果が伴ってくるようで、私達の感情や気分の起点になるのは、脳ではなく身体なんです。例えば、「楽しい」から「笑う」行動が出ると思われていますが、これも本来は「笑顔をつくる」と「楽しくなる」そうです。例えば、胸をはって歩く、ガッツポーズをしてみるといった行動を起こすことによって自信や達成感といった「気分」が生じます。

そもそも脳にスイッチを入れるのは身体。まずは身体を動かさない限りスイッチは入りません。これは作業興奮というもので、脳からドーパミンが分泌されるそうです。「さあ、やるぞ!」と考えても「頑張って」と応援されてもドーパミンは出てこないのです。怒られても褒められても、気持ちの動きではやる気は生まれないのです。ドーパミンを出す方法は一つだけで、それは具体的に動くこと、作業することなのです。学校の先生で、「お前はやる気が足りない!」なんて頭ごなしに怒鳴りつける先生が昔はいましたが、ないものを出せという方が無理な話ですよね。今から思えばあれはパワハラだったな・・・

「継続」という事が大前提の語学学習に取り組む上で、この事実を知っているととても役に立ちます。「やる気」がでなくても、感情ではなくまずは行動する事が大事だと知っているだけでも、習慣化への近道となると思いますよ。

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アークアカデミー通信9月号

英語は絶対必要だと思う利用の一つは、日本語では情報が本当に限られているから。英語での情報量を太平洋に例えるなら、日本語の情報は武庫川くらいのレベル。それに加え、インターネット等の発達で、情報量は毎年2倍ずつ増えているそうです。
情報リテラシーはますます重要になってきますね。
この2年間で痛感したことは、巷にあふれる情報のほとんどが嘘であったりプロパガンダだったりするという事。英語学習者にとって、英語ニュースのCNNやニューヨークタイムズ紙などは、教材の王道のような存在ですが、内容はけっして中立的なものではないという事を前提に読んだり聞いたりする必要があるし、そこにある情報を鵜呑みにするのではなく、自分で考えたり分析したりする事が、今まで以上に重要になっていると思います。
ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑先生は「ネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だ」という事をインタビューで仰っていました。
サイエンスについては知りませんが、歴史に関しても、バイアスや主観が入り乱れ、客観的な事実って1割もあればいいのではと、私のような無教養なおばちゃんでも感じています。
最近、「ワクチン『未接種』は実際より多く 接種歴別コロナ陽性者数の集計方法を変更」というとんでもないニュースがありましたが、歴史に記されているデーターも、結局隠蔽やらバイアスだらけなんだろうなと、最近の杜撰な政治の在り方を見聞きしながら感じるところでもあります。
将来、研究者の道に進む夢を見る子どもたちに、どんなことを伝えたいかという問いに本庶先生は、こんなメッセージを語っていました。
「研究者になるにあたって大事なのは「知りたい」と思うこと、「不思議だな」と思う心を大切にすること、教科書に書いてあることを信じないこと、常に疑いを持って「本当はどうなっているのだろう」と。自分の目で、ものを見る。そして納得する。そこまで諦めない。
そういう小中学生に、研究の道を志してほしいと思います。」
最近、SDGsが日本でも話題になっており、小学校からSDGsについて学んでいるようです。(ちなみに、SDGsがこれだけ盛り上がっているのは日本くらいで、外国人に「SDGs」といっても、通じない事が多い)。1人1人が主体的に環境問題に関わっていくのはもちろん大切ですが、教科書に書いてあることを鵜呑みにするのではなく、まず疑って本当にそうなのか自分で考える力(critical thinking)を養っていくことが、SDGsに取り組む上でも重要だと思います。
みんなが一斉に同じ方向に進もうとするとき、少数でも個人でもこれはおかしい、と思える人がいる社会の方が健全であるし、そうした少数の意見のほうが実は正しかったという場合も多かったりもするので、まずは自分の頭で考える事を習慣にしていければいいですね!
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アークアカデミー通信8月号

英語はスポーツや音楽といった実技に近いように思います。まずは質より量。なぜ量をこなす事が必要かというと、情報を潜在意識まで落とし込むことによって、頭で考えなくても体が動く状態になるからです。

な~んて偉そうなことを言うのは簡単ですが、実行に移すのは本当に大変。実は最近、迫りくる大台(年齢)を目の前にし、何かを始めなければ!という強迫観念のようなものに駆られ、長年の憧れであったピアノに挑戦してみることにしました。楽譜も読めない、リズム感もない、時間もない、ないないないの3拍子。でも、アークの生徒さんの頑張っている姿に背中を押され、「継続は力なり」「石の上にも3年」と念仏のように唱えながら、毎日(とはいきませんが)鍵盤をパタパタたたいています。ピアノを習うのって、まるで新しい言語を学ぶようで、明らかに脳の使っている箇所が違うように思います。なんだか覚醒されたような不思議な気持ちです。

また、大人の学び方と子供の学び方の違いも実感しています。大人は論理的理解に関しては時間短縮できるのですが、それを行動に落とし込むには子供の何倍も時間がかかります。音感やリズムに関しては、子供にはまったくかないません。英語学習も、大人は文法や語彙などの学習は短期間で出来ますが、それらを応用(話す・聞く)に結びつける事は子供のように素直に体が反応しません。発音やイントネーションも、子供の柔らかい脳が大活躍。素直に聞いて、素直に発話に繋げていけるところは、ピアノも英語もよく似ているように思います。

目(耳)もあてられないほどのど下手糞で、周りに迷惑をかけているなとは思いつつも、いつか「トップガンのテーマ曲」を弾けるようになりたい、と低いのか高いのかわからない目標をかかげ楽しんでいます。

初心に戻れる良い機会、英語学習者の皆さんに寄り添ったサポートができるためにも、ピアノへの挑戦はいろんな学びと成長を促してくれているようにも感じています。継続することの大変さ、でもその過程での学びや、その先にある新しい世界を、形は違いますが、皆さんと共有できればと思っています。

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アークアカデミー通信7月号

思想家の内田樹さんはある講演会で、「読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないか」という事を述べられていました。

読解力って、文法的な知識の量で測られるものではないし、語彙力を増やせば、すべての文章が読めるようになるというものでもありません。私が英語の多読を始めた当初、わからない単語があるといちいちそこで止まっていました。そこから先に進めなくなるのです。単語の意味が気になって仕方ない。ある文章に一箇所だけ意味が曖昧な部分があるだけで、もう先に進めなくなってしまうんです。英語で会話をしているときも同じ。知らない単語が出てきた時点で頭の中が真っ白になり、相手と目を合わすのも怖くなり、愛想笑いをしながらも、なんとも悔しい思いに駆られたものです。

けれど、英語の意味のわからない文章をたくさん読んだりしていると「意味」というのは往々にして「あとから分かってくるもの」だということが少しずつ分かってくるようになりました。また、会話中にわからない単語が出てきても、相手の表情や前後の関係で会話全体の意味がつかめるようになりました。

この読解力って、「生きる力」とお置き換える事ができるように思います。人生においてわけの分からない不快な事や想定外の事、自分の知的枠組みの中では対処しきれない事って必ず起こるものです。頭の中がまっしろになり立ち竦むこともあるでしょう。特に文明の恩恵にどっぷり浸かりながら生きている私達にとって「想定外」の事を想定する想像力が欠けているよにも思います。小さなバックパックを背負ってアフリカを旅した事がありますが、旅をしていると想定外の事ばかりです。というか想定外の事しか起こりません。この想定外の事に出くわしたとき、経験やら知識やら本能やらを総動員させ、その時々で最善な選択を模索してくしかないのです。そしてず~と後になって、人生の枠組みの中でそれらの想定外の事柄を思い返した時、まるでパズルのピースのように重なって、完成された絵がやっと見え始めるものだと思います。

大学入試テストでは、どの教科も読解力が試されるようですが、「答え探し」に終わるのではなく、自分の知的枠組みをいったん壊し、もっと包容力のある枠組みを採用するという孤独な過程を楽しめる事がでいるといいですね。

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アークアカデミー通信6月号

日本の子供達の自己肯定感が低いという事が様々なデータで言われているようで、特に高学年から中学生にかけて自己肯定感が低下していくようにも見受けられます。一方、北米の子供は自己肯定感が高く、人と比べるのではなく、「自分は自分、あなたはあなた」という健全な個人主義の素地があるからではないかなとも思います。特に英語に関しては、自己肯定感が高いお子さん(大人も)は伸びしろが大きいようにも思います。

たまにスーパーや街中で、アークの卒業生に再会する事があります。英語が得意科目になりました!英検~級を合格しました!なんていう事を嬉しそうに報告してくれる姿をみるとホッとします。英語って、習っている間より、むしろ卒業後のその先が大事で、幼児や小学校の内に「英語は楽しい」という経験があれば、中高のテストの結果に作用されない強靭なベースができ、そのベースさえあれば、その更に先に繋いでいく事が出来るように思います。子供は興味さえあればいくらでも学ぶ事ができる可能性の宝庫。先生に求められている力って、子供の「楽しい」を引き出す事かなとも思います。

子供が大人になるまでの間に英語に対する自信を無くすのは、圧倒的に中高時代なんですよね・・・テストでよい点を取れる子たちは、「話せない」自分に絶望し、話せてもテストで「点が取れない子たち」も絶望する。どちらも出来ないと思い込んでいる子は更に酷い状態になる。極論ですが、個人的には英語のテストは全廃でも全くかまわないと思っています。英語は、「読んで、聞いて、話し、書く」という作業をひたすら続ければいいのです。日本人が英語に対する自己肯定感が低いのは、テスト過剰の文化ゆえではないだろうかとも思っています。

今年もサマースクールを開催します。今回のテーマは、子供達の間で大人気のポケモンです。まずは子供達に興味をもってもらうこと、英語を「勉強」と思わせない事、英語はとことん楽しんでいいんだと思う事、そういった経験を持ってもらう事が目的です。5日間だけで英語が喋れるようになることはありませんが、「英語の楽しい思い出」は自己肯定感を育む力となり、いつか「もっと英語を学ぼう」と思った時にその子たちの翼になってくれると思います。

サマースクールの申し込みは6月1日からです。人気のあるイベントですので、興味のある方はお早めにお申し込みください。

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