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子供達(大人も?)悩みの種の読書感想文。しかしながら、海外でエッセイやビジネスレポート等を書く際、この長年に渡って培われた「書き方」の常識が、まったく通用しないという壁に多くの人がぶちあたります。

日本の作文は「書く技術」の指導というより、子供が体験や考えをありのまま書くことを通じで「人格修養」することを主な目的としてきました。心の成長体験を、その時々の気持ちの表現を交えて素直に生き生き書いてあるのがよい作文とされています。こうした思考表現スタイルはいろんなところにも影響しており、例えば歴史の教え方も「時系列で出来事を追いながら歴史上の人物になって「共感」することで歴史理解を深める」ことが中心です。

一方、アメリカの子供達は徹底的に「書く技術」を学び、教師は共感的な感想より、技術的指導や添削を重視します。アメリカの国語の時間は日本のように読解することが重要ではなく、文の「書き方(テクニック)」を指導するのが中心で、エッセイ、ビジネスレター、親密な手紙、レポート、インタビュー、広告、自伝、本の紹介から戯曲に至るまで、約12種類の文章様式を学習し、実際に書いてみることに大半の時間を費やすそうです。歴史の授業も「結果から振り返って出来事がなぜ起こったか原因を特定する」ことが中心となります。

私達日本人は、こうして培われた思考表現スタイルを知らず知らずのうちに身に付けており、英文を書く際「完璧な文法を駆使して日本語に直訳すれ通じるに違いない」と思いがちですが、これは大間違い!日本と欧米では思考スタイルや文化背景が根本的に違っており、そのへんが理解できていないと、高度な文法が駆使できても意味不明で宇宙人のような文としか受け取ってもらえず、低能なおばかちゃん、と冷笑されるのです(←身をもって何度も経験しました!!)

現在日本では、コミュニケーション能力や論理的思考の育成が急務とされていますが、その目指すところは、自己主張のテクニックやディベートなどで、効率を重んじるアメリカ式の思考表現スタイルをモデルにしていることが多いそうです。文章を書くにあたっても客観的な事実や自分の意見を論理的に書くことが求められるわけですが、「感想」や「感情」を表現することばかり書かされている日本人の子供達にとってこうした知識・学力のグローバルスタンダートを満たすには、相当な訓練が必要になるかと思います。幼稚園の頃から論理的に考える、書くという作業を訓練される英語圏の子供達とはスタート地点ですでに遅れをとってしまっているわけです。

英語教育の低年齢化が進んでいますが、この多様な世界で多様な人々とコミュニケーションを図るには、共有された様式で書く・話すという訓練も同時に進めていく必要があると思いますし、夏休みの「読書感想文」の在り方もそろそろ見直して欲しいと個人的に思っています(笑)。