言葉って本当に面白いな~とつくづく思います。外国語学習の副産物の一つは、母国語を客観的に評価できるようになる事かもしれません。日本語はとてもユニークな言語で、言葉が国民性を作るのか、国民性が言葉に反映するのか、歴史を紐解いていくと面白いだろうなと思います。夏休みの自由研究に誰か取り組んでくれないかしら・・

英語を学習していくうちに、精神的に乗り越えていかなければならないハードルに、多くの日本人が直面します。文化って私達が思っている以上に、思考や行動を支配しています。例えば、英語の特徴は、「責任の主体は誰なのかをはっきりさせたい言語」だと私は思います。英語の構造はすべてS(主語)V(動詞)から始まります。誰がどうした/どのような状態だ/どこに存在する、というように、責任の主体である主語を説明していく言葉です。

一方日本語は、主語と述語を明確にすることが非常に苦手な言語です。例えば、小学校の国語の授業においても、子供達は一生懸命に主語を省く訓練をしています。

例)橋をわたる、

家が建つ、

大阪に行く, etc。

「日本語は主語の概念がない言葉」という学説もあるそうです。この学説の信憑性はさておき、日本人は主語を省く傾向が強いというのは事実です。「よろしくお願いします」とか「お世話になっております」とか私もよく使う便利な言葉ですが、日本帰国当初は、これはいったい何がいいたいのだろう、と考えこんでしまいました(笑)。

日本語は、なんとなく「こういう事が言いたいのだろうな」と頭でそれぞれ補って納得できてしまう「以心伝心言語」です。すばり言うのを避けて、人間関係を表面上、円滑に保つという、村社会の知恵が反映されているように思います。ただ、この言語の特性を理解する事ってとても大切で、ある意味日本社会の特質を作り出しているようにも思います。

8月15日は終戦記念日ですが、太平洋戦争の敗戦は責任の所在が不明瞭でした。原発事故も責任の所在が未だに不明瞭です。公文書偽造も、責任者が不明瞭。コロナもオリンピックも、すべて責任者が不明瞭となるように思います。「責任の所在をはっきりさせたい言語」である英語を学習している子供達の中に、ひょっとしてこの悪しき連鎖を断ち切ってくれるヒーローが生まれるかもしれませんね!楽しみです。

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