当教室では、英語エッセイの添削サポートも行っておりますが、「書く」作業は文法、語彙、スペリング等いろんな技術が試されます。そして一番日本人にとってチャレンジな事は、英語は英語の論理で書くということ。日本語の文をそのまま翻訳しても、論点が分からないチンプンカンプンな文となります。難しい文法を完璧に使いこなしても、読み手に意味が伝わらなければ、なんの意味もありません。「書く作業」で一番苦しいのが、この英語は英語の論理で書く作業なのです。

 

私も夏休みの読書感想文にもがき苦しんだ1人ですが、私達日本人が客観的な事実や自分の意見を書くべき文章にすら、感情的な表現をやたらと盛り込んでしまう原因に一つに、日本の学校教育における作文指導があると思います。

 

作文というと「読書感想文」「遠足の感想」「運動会の感想」等といったものばかりです。中学校や高校でも国語の試験では、「作者はどう思ったか」「主人公の心情を推察しなさい」という、感想や感情を表現することばかり書かされるんです。小学生の作文では、「きらきら」「ほかほか」等、感情も表すことができる擬音語が奨励されます。日本の「作文」は自分の気持ちや感想をダラダラと書くだけで、「人を説得する」「他人に読ませる」ための技術を身につけるという視点が抜け落ちているんです。

 

また、作文文化の影響もあってか、日本のあちこちに感情に訴える言葉が多いです。「おもいやり」や「絆」といった言葉に惑わされ、私達は本質を見抜けなくなってしまう事がしばしばあります。「おもいやり」じゃなくって「強制」でしょ、と皮肉を言いたいときよくあります(笑)。

 

このように主観的で情緒的な文を書くことになれてしまうと、客観的な評価と誹謗中傷の違いが分からない為、人間関係をこじらせてしまったりするケースがよくあります。質問や批判を受けると、個人攻撃と勘違いしてしまう人が多いように思います。

 

こうした文化で育ってきた私達にとって、英語を英語の論理で書くという作業は、自分の中にある文化の壁の解体作業から始めなければなりません。これはとても苦しい作業ですが、この作業を超えると、英語や日本語を客観的に評価できるようになり、違う世界が広がってきます。

 

英検準1級くらいの実力があれば、簡単なエッセイを書けるくらいの文法力・語彙力はると思うので、英語の論理をみにつけるためにも「書く」作業を学習の中に組み込んでいくことをお勧めします。