アークアカデミー通信

アークアカデミー通信7月号

思想家の内田樹さんはある講演会で、「読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないか」という事を述べられていました。

読解力って、文法的な知識の量で測られるものではないし、語彙力を増やせば、すべての文章が読めるようになるというものでもありません。私が英語の多読を始めた当初、わからない単語があるといちいちそこで止まっていました。そこから先に進めなくなるのです。単語の意味が気になって仕方ない。ある文章に一箇所だけ意味が曖昧な部分があるだけで、もう先に進めなくなってしまうんです。英語で会話をしているときも同じ。知らない単語が出てきた時点で頭の中が真っ白になり、相手と目を合わすのも怖くなり、愛想笑いをしながらも、なんとも悔しい思いに駆られたものです。

けれど、英語の意味のわからない文章をたくさん読んだりしていると「意味」というのは往々にして「あとから分かってくるもの」だということが少しずつ分かってくるようになりました。また、会話中にわからない単語が出てきても、相手の表情や前後の関係で会話全体の意味がつかめるようになりました。

この読解力って、「生きる力」とお置き換える事ができるように思います。人生においてわけの分からない不快な事や想定外の事、自分の知的枠組みの中では対処しきれない事って必ず起こるものです。頭の中がまっしろになり立ち竦むこともあるでしょう。特に文明の恩恵にどっぷり浸かりながら生きている私達にとって「想定外」の事を想定する想像力が欠けているよにも思います。小さなバックパックを背負ってアフリカを旅した事がありますが、旅をしていると想定外の事ばかりです。というか想定外の事しか起こりません。この想定外の事に出くわしたとき、経験やら知識やら本能やらを総動員させ、その時々で最善な選択を模索してくしかないのです。そしてず~と後になって、人生の枠組みの中でそれらの想定外の事柄を思い返した時、まるでパズルのピースのように重なって、完成された絵がやっと見え始めるものだと思います。

大学入試テストでは、どの教科も読解力が試されるようですが、「答え探し」に終わるのではなく、自分の知的枠組みをいったん壊し、もっと包容力のある枠組みを採用するという孤独な過程を楽しめる事がでいるといいですね。

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アークアカデミー通信6月号

日本の子供達の自己肯定感が低いという事が様々なデータで言われているようで、特に高学年から中学生にかけて自己肯定感が低下していくようにも見受けられます。一方、北米の子供は自己肯定感が高く、人と比べるのではなく、「自分は自分、あなたはあなた」という健全な個人主義の素地があるからではないかなとも思います。特に英語に関しては、自己肯定感が高いお子さん(大人も)は伸びしろが大きいようにも思います。

たまにスーパーや街中で、アークの卒業生に再会する事があります。英語が得意科目になりました!英検~級を合格しました!なんていう事を嬉しそうに報告してくれる姿をみるとホッとします。英語って、習っている間より、むしろ卒業後のその先が大事で、幼児や小学校の内に「英語は楽しい」という経験があれば、中高のテストの結果に作用されない強靭なベースができ、そのベースさえあれば、その更に先に繋いでいく事が出来るように思います。子供は興味さえあればいくらでも学ぶ事ができる可能性の宝庫。先生に求められている力って、子供の「楽しい」を引き出す事かなとも思います。

子供が大人になるまでの間に英語に対する自信を無くすのは、圧倒的に中高時代なんですよね・・・テストでよい点を取れる子たちは、「話せない」自分に絶望し、話せてもテストで「点が取れない子たち」も絶望する。どちらも出来ないと思い込んでいる子は更に酷い状態になる。極論ですが、個人的には英語のテストは全廃でも全くかまわないと思っています。英語は、「読んで、聞いて、話し、書く」という作業をひたすら続ければいいのです。日本人が英語に対する自己肯定感が低いのは、テスト過剰の文化ゆえではないだろうかとも思っています。

今年もサマースクールを開催します。今回のテーマは、子供達の間で大人気のポケモンです。まずは子供達に興味をもってもらうこと、英語を「勉強」と思わせない事、英語はとことん楽しんでいいんだと思う事、そういった経験を持ってもらう事が目的です。5日間だけで英語が喋れるようになることはありませんが、「英語の楽しい思い出」は自己肯定感を育む力となり、いつか「もっと英語を学ぼう」と思った時にその子たちの翼になってくれると思います。

サマースクールの申し込みは6月1日からです。人気のあるイベントですので、興味のある方はお早めにお申し込みください。

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アークアカデミー通信5月号

アークアカデミーが開校したのは今から12年前の2010年、その翌年に「外国語活動の本格的な導入」が小学校で始まりました。その当時、専門家の方々から「きっと格差を生むだろう」という事がささやかれていましたが、残念ながらそれは現実となってきているように思います。

小学生高学年~中学生のお子さんを持つ保護者様から「英語が嫌いで、苦手意識をなくしてあげたいのですが・・」というお問い合わせが本当に増えてきました。10代前後の子供で英語が苦手って、どういう経験をしてきたのか不思議でなりませんでしたが、「テストありき」の指導では、どうしても正解・不正解というマインドが子供の中で芽生えてきます。言葉なんて間違いながら覚えていくもの!といくら大人が励ましてところでも自発的にそう思える子供なんて少ないように思います。英語の実力ってテストの点には反映されない事が本当に多いので、テストではなく、小さな成功体験を子供達に積ませる事によって安心感と自信につなげていく事が指導者に求められているところかなとも思います。

当教室では、「楽しい」という事が最優先。もちろん「楽しみ」方も年齢や性格によってそれぞれ違いますが、楽しみながら英語を身につける子どもたちをずっと見てきたから余計に、公教育のシステムのこの大迷走を不思議な気持ちで眺めてしまいます。大学入試を変えること、教科書の内容を充実させること、ALTを増やすこと…それらも大切な事だと思いますが、学習者である子どもたちの気持ちが置いてけぼりになっているシステムには疑問も湧いてしまいます。

英語を制する者は受験も制す!なんていう言葉も聞かれますが、教材販売店からいろんな教材やアプリのパンフレットが送り付けられる量も多くなり、英語教室を運営する私が言うのもなんですが、英語教育が大人のビジネスにまみれていくのが目に見えてきて、主役である子供が何やら置き去さりにされている気もするのです。英語がコミュニケーションのツールから、人を分けるツールや格差を生むツールになりつつあるような気もします。

目の前の子供を思い通りにさせたり、目に見える結果を無理矢理出さそうとする、そういう誘惑に陥ることなく、子供の学ぶ力を信じ、それを「楽しい」という経験で伸ばしていく、そんな教室であり続けたいと願っています。

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アークアカデミー通信4月号

Happy Easter!

日本ではまだあまり馴染のないイースター。イースターは日本語で復活祭と言われ、キリストの復活をお祝いする日です。クリスマスがお誕生日で、イースターが復活。イースターのシンボルである卵やウサギは、イースターそのものとは関係がありませんが、卵は生命や復活のシンボル、ウサギは子孫繁栄のシンボルだと言われています。イースターで登場するうさぎは「イースターバニー」と呼ばれ、イースターバニーたちがイースターエッグやお菓子を運んできてくれるという言い伝えもあり、エッグハントの遊びは「うさぎたちが隠したイースターエッグを探す」ことに由来しています。

このエッグハント、子供達が大好きなゲームなんです。卵を庭や公園に隠し、それを見つけるというとてもシンプルなゲームなのですが、子供にとってはワクワクドキドキなんですよね~。我が家の子供達は未だにエッグハントが大好き。春のあたたかな太陽の光を浴びながら、子供達の笑い声が響き渡り、私にとっては平和である事の有難さを再認識する時期でもあります。

最近はなんだか暗いニュースばかり・・そんなご時勢だからこそ、小さな喜びや幸せが輝きを増すように思います。聖書の有名な聖句に「The lights shines in the darkness, and the darkness hasn’t overcome yet (光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった)」というのがありますが、イースターの希望もこの聖句に凝縮しているように思います。

当教室ではイースターのイベントを計画しています!イースターの喜びや希望を皆さんと一緒にシェアできればと思っています。ささやかな光が闇の中に輝く事を祈りつつ、参加費は必要経費をのぞきウクライナの人々へ民間団体を通して寄附させていただきます。

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アークアカデミー通信3月号

 

あっという間にもう3月。アークを巣立っていかれる生徒様、そして4月からも継続して下さる生徒様、改めて皆様への感謝の気持ちでいっぱいの日々です。

さて、英語学習で一番難しいのは、文法や語彙を覚えるといった技術的な事ではなく、「継続」することではないでしょうか?言葉を習得する力って人間が本能的に持っている能力であり、継続さえすれば誰でも「勝ち組」になれると思っています。ただ、言葉の習得には「才能」はほぼ関係ないのだけれど、毎日のたんたんとした英語学習を「楽しむ力」って、本能に逆らう事ができる才能だと思うし、楽しむ力がある人は、それがない人に比べて、同じくらい時間をかけても、英語力の伸びが圧倒的に早いように思います。

英語を継続する事が難しい要因の一つは、結果が可視化できるまでに長い時間がかかるということ。着実に英語力はついているのだけれど、可視化できるタイミングに至る前に諦めてしまうケースが本当に多いんですよね・・・でも淡々とした(退屈)な学習の営みの中にも、小さな喜びを見出せる人はなぜか伸びるのも早い!「継続は力なり」という言葉がありますが、「楽しい」が加算されると圧倒的に伸びるなと、生徒さんの姿をみて感じています。発音を褒められた、アルファベットが書けるようになった、英語で返答できた、先週読めなかった単語が読めるようになった、そういった小さな成功体験や小さな喜びこそが継続できる力になると思います。「楽しむ力」を鍛える事で、多分英語に限らず、人生においても結構成功したり、成功はしなくても愉快に過ごすことはできるようになるんじゃないだろうか?そんな気さえします。

英語力が伸びている事を実感できる時って現在進行形ではなく、「あれ、なんか英語が分るようになっている」みたいに、ある日突然感じるもの。英語の多読を実行されている方は共感していただけるかもしれませんが、読んで読んで読みまくっているうちに、テスト勉強などしなくても英検が楽々合格ができたり、文法がストンと分かるようになったというケースは珍しくありません。

英語学習は長い道のり、その長さのギャップを埋めるのが「楽しむ力」。楽しんでいたらいつの間にか実力が伸びていた、そんな小さな驚きの体験を皆さまにご提供できるよう、日々努力していきたいと思っています。

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アークアカデミー通信2月号

 

 

 

第2回目となる大学入試共通テストが終わりました。

オミクロン株が猛威を振るい始めたり、海底火山が噴火して津波がきたり、東大の試験会場で事件があったりと、受験というものは最後の最後まで何が起こるか誰にも分からないものですね・・

東大の試験会場で起こった刺傷事件、受験生の保護者でもない私でさえもかなり動揺したのですから、試験会場に集まっていた受験生の皆さんはどれだけ不安になったことでしょうか。また、事件を起こしてしまった子供はまだ高校2年生。精神的にこれだけ子供を追い込む受験という制度の歪みに、目を背けてはいけないような気がします。

最近、自暴自棄になって無差別に他人を巻き込む事件が多くなってきたように思います。日本って、何事も一回勝負というか、正解・不正解の2元的価値観が強いというか、世間でいう「失敗」に対してものすご~く不寛容な社会だと思います。「現役」とか「新卒」というのが一つのステータスみたいになっていて、それで追い込まれていしまっている子供が多いように感じます。マジョリティの真善美の基準や価値観に照らして「間違っている」ものや「失敗者」はだいたい「矯正」か「排除」の洗礼を受けることになる、そういった空気をみんなうすうす感じているのではないでしょうか?

人格やら人間味は、挫折や失敗、そして時には悲しみや苦しみを通して練られていくものだな~と今まで出会った魅力ある人々を思い出しながら実感しているし、だからこそ、失敗してもなんとかなるというセイフティネットで、子供達を守ってあげるのが大人の役目だと思います。

人生という壮大な「物語」を読み解くめに「正/誤に回収されえない問い」というものが実は世の中には結構ある、というあまりパッとしない現実を、学生さんたちにそれとなくお伝えするというのが、教育のひとつの大きな役割であると思うのだけれど、受験という仕組みが、実は弊害になっているのではないかと、最近の事件を見聞きしながら悶々と考えてしまっています。

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アークアカデミー通信1月号

Happy New Year! 

明けましておめでとうございます。

お正月といえば「百人一首」。古文の教養を養ってもらいたいという親の切なる思いとは裏腹に、我が家で盛り上がるのは今年も坊主めくりのみ・・坊主めくりといえばミスター蝉丸。百人一首における蝉丸人気というのはすごいですよね。蝉丸!蝉丸!と喜んでふざけているうちに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という和歌を暗記してしまったりするのですから、人の記憶を強化するスイッチはどこにあるのかわからないものです。

古文や漢文って、残念な事に非常に人気のない科目となってしまい、2022年度以降の高校の国語は、実社会に特化した「論理国語」と、言語文化に特化した「文学国語」に区別され、科目として分割されるようです。古文を大の苦手とした私が言うのも恐縮ですが、文語体こそが日本の言語文化における骨格であると思います。特に音読する事によって、日本語の美しいリズムが体に染み込み、日本語の基礎となる部分が構築されていくように思います。

当教室でも利用しているBBカードは百人一首に少し似ていて、意味不明なセンテンスを早口言葉のようにみんなで面白おかしく口ずさむことで、英語特有のリズムに慣れたり、ゲーム中に何回も何回もみんなで復唱することで無理なく暗唱することができ、自然に文法ルールを身に付ける、という利点があると思います。英語の骨の部分を構築する事を目的としており、骨ができて初めて応用に発展していくことができます。中学の教科書もよく出来ているとは思うのですが、英語のリズムや音より文法重視のため、少し不自然な英語が多いように思います。不自然な英語に慣れてしまう前に、英語独特のリズムを体に染み込ませ、受験英語につぶされない英語力(運用能力)を保持していく事は重要です。

百人一首で教養を身に着けさせようという、親の浅はかな企みは失敗に終わりましたが(笑)、BBカードとの共通点を実感したので、今年はもっと深く楽しくBBカードの魅力を皆さんにお伝えできればなと思っています。

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アークアカデミー通信12月号

 

Merry Christmas & Happy New Year!

あっという間に12月・・今年1年を振り返る季節となりましたが、皆さんにとっての1年はいかがだったでしょうか?

私は恥ずかしながら反省の1年でした。1年半前に、学校運営に役立てようとスマホデビューを果たしたのですが、スマホって本当に中毒性がありますね・・私の場合はとにかくニュースが気になり始め、暇があってはニュースを追っている毎日でした。本当に無駄な時間を過ごしたものです。スマホがなかった時の生活を思い出せないほど重症化まっしぐらです。反省の一言です。子供には「勉強しなさい!」と戒めつつ、一方自分は学ぶ努力をしているのかしら・・と師走の忙しい中にあって自問自答している日々です。

最近、成人の平均学習時間はなんと1日6分だというニュースを聞き、ショックを受けました。中学生や高校生の方がよっぽど必死に勉強しています。英語の習得には「量」と「頻度」がまず大事なのですが、平均学習時間が1日6分の大人から、「毎日の学習が大事」と言われても説得力がありませんよね。そこで、私自身、今年1年の言動をふか~く反省し、新年を待たずに抱負を宣言します。

スマホを触る時間を必要最低限に減らして、家族や友人との時間を大切にし、学ぶ事に尽力します!

私は意志が弱く、ついつい楽な方へと流されてしまいがちなので、どうか皆さん、厳しい目で見張っていてください。よろしくお願い致します。

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アークアカデミー通信11月号

 

突然ですが、日本人の平均年齢をご存じですか?

実はずばり私は超平均日本人の年齢らしく、道端を歩いていても同じ年齢の人に会う確率が一番多いのです。バブル経済の全盛期を生きた世代、あの頃は社会全体がイケイケムードでしたね。

今から考えれば、英語教育も結構適当だったような気がします。英語が出来なくても就職に困る事がなく、とりあえず年功序列と終身雇用のエスカレーターに乗ってしまえば老後は安泰で、英語の必要性をほとんど感じなかった時代です。日本が世界の中心!みたいな妄想が社会全体を覆っており、島国根性一本で世の中を渡りきる事ができたというなんとも不思議な時代でした。そんな時代を生きた大人が現在の平均的日本人なので、英語の必要性を本当に感じている人はまだまだ少ないのかもしれません。

でも英語を学ぶ事って本当に素敵な事なんですよ!!もちろん試験や就職、そして年収にも直結するという実用的な面もありますが、それ以上に得られものが大きすぎで、英語をあきらめかけている人を見ると、黙っていられなくなるのです。理由を挙げだすときりがありませんが、英語ができるというだけで選択肢も広がるし、他国の人と等身大で接する事ができる。英語を知る事で、日本や自分自身を知る事にも繋がる、そして他の文化を知る事で、自分の世界観を広げてくれる等、良い事づくめです。

英語は人生をより豊かに、そして可能性を広げるツールである事を信じて、毎日コツコツと英語学習に取り組めるよう応援しています。

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アークアカデミー通信10月号

秋の空気が心地よく感じる今日この頃、夏の暑さで失いかけていた理性がやっと戻ってきた気がします(笑)。

秋といえば読書、私の早朝の日課の一つは聖書を読む事です。旧約聖書は主にヘブライ語、新約聖書はギリシャ語で本来書かれたのですが、日本とはまったく違う文化や歴史を背負ったこれらの言葉を、果たして日本語に翻訳する事ができるか??という疑問にしばしば直面します。「神」とか「愛」とかいう重要な言葉も、ギリシャ語まで遡らないと、その意味する所が違ってきます。

日本では明治維新のえらい人達が、なんとか植民地化を防ごうと、必死の勢いで勉強し、必死の勢いで西洋のものを取り入れてきました。おかげで、「世紀」「民法」「哲学」「美術」等、私達が今普通に使っている漢語のほとんどがこの時代に作られました。漢語の力でどんどんと外国の語彙を日本語化してきた明治時代って、きっと変化へのエネルギーに満ち溢れていたのだろうなと想像します。ただ、勢いに乗りすぎて、日本になくて外国にあって、その精神をこそ勉強しなければならなかった大切な言葉を漢字に訳し損ねてしまってるよね、と思う言葉も多く、例えば「権利」とか「自由」といった造語は、西洋の概念である「right」とか「freedom」とかにズレがあり、この100年間の間にそのズレが大きくなったようにも思います。

コロナ禍の裏で着々といろんな法が改定され、人間の権利を集団的に制限する動きがありますが、「権利」や「自由」の本来の意味に遡り、それらが人類にとって普遍的な価値観であると思うのなら、今が踏ん張りどころかな~とも思っています。このような時代だからこそ、メル・ギブソン主演の名画「Brave Heart」の主役、ウィリアム・ウォレスのような戦士が、三田からも誕生するかも??!! と妄想を膨らませています。

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