日本人の多くが「日本人は英語の読み書きはできるのだけれど会話が苦手」と思っている人が多いようですが、実は書く事が一番弱いように思います。「話す」事は最初はできなくても、慣れればなんとかなります。文法が少々間違えても文脈で理解してもらえます。しかし、「書く」ことはトレーニング必要だし、文法力も、「読む」力も反映されるので、学校でのペーパーテストやTOEICの為の勉強では、アカデミックレベル、またはビジネスレベルで使える「書く」「読む」力はつきません。

私がTOEFLテストの準備をしていた際、一番苦労したのが英語でのエッセイです(日本語で文章を書くのも苦手なのでしょうがありませんが・・)。英語のエッセイとは主に、「小論文、評論文、随筆」の事で、初めはどのように書いたらよいか分からずとても苦労しました。なぜかというと、日本の学校で養われた「書く技術」は英語のそれとはまったく違うからです。日本と欧米では思考スタイルや文化背景が根本的に違っており、そのへんが理解できていないと、いくら文法的には完璧でもちんぷんかんな文しか書けません。

例えば私が学生だった頃、「天声人語」は良い文章の見本とさ、それさえ読んでおけば、国語の点数はなんとなると思わされていましたが(笑)、あの「天声人語」を英語に直訳しても、意味不明な文章にしかなりません。日本という文化背景を共有しているという事が前提の文章なので、それ以外の文化や思考スタイルを背負った人々には何がいいたいのか理解できないのです。英語を「国際語」と位置付けるならば、多様なバックグランドの人々にも理解できるような論理的思考を身に付ける事はとても大事な作業になってきます。

英語エッセイや文章は独自の書き方があり、これはトレーニングする事によって身に付きます。日本の中学・高校の試験で出題されるような「英訳」(習った文法と単語をちゃんと使いこなさればOK)に慣れてしまうと、英語らしい文が書けなくなってしまうので要注意です。

アメリカの子供達は徹底的に「書く技術」を学び、教師は共感的な感想より、技術的指導や添削を行います。アメリカの国語の時間は日本のように読解することが重要ではなく、文の「書き方(テクニック)」を指導するのが中心で、エッセイ、ビジネスレター、親密な手紙、レポート、インタビュー、広告、自伝、本の紹介から戯曲に至るまで、約12種類の文章様式を学習し、実際に書いてみることに大半の時間を費やします。まず文章の「型」を徹底的に学ぶことのよって、思考表現スタイルを身に付けていくのです。

エッセイにも決まった型があります。この型に自分の意見を落とし入れていくとから練習していくと、とりあえず大体のエッセイは書けるようになります。ちなみにTOEFLテストに出題されるエッセイは、この形式に沿って書いているか、いないかが大きな採点基準になり、内容自体はそれほど重要ではないようです。もちろん、誤字脱字、正確な文法の使用なども大事ですが、基本的には論理的な文が書けるかどうかがテストされるのです。

そして英語的な思考スタイルを身に付ける事によって、英語でのプレゼンやディスカッションをする力も養う事ができます。日本語的な思考から英語的な思考への切り替えは練習を重ねる事に容易になってきます。よく、日本語で喋っている時と英語で喋っている時では性格が変わるように思えるのは、思考表現スタイルの切り替えが行われている為なのだと思います。

英検2級くらいの実力と英語のインプット量(読む)が十分にあれば、アウトプット(書く)の練習をしていきましょう。アークアカデミーでもライティングのクラスも開講したいなと思案中ですので、詳細が決まり次第お伝えさせていただきます。