とても当たり前の事なんですが、子供達は1人1人学び方が違う、という事実に毎回驚かされ、また学ばされます。多分、「先生」という立場の方なら共感していただけるとは思うのですが、どのようにすれば子供達が学び、成長できるかという事に始終思いをはせ、授業がうまくいかないと反省したり、落ち込んだり・・・。

子供達の能力は1つではなく、また個々の違いがあるというのは基本的な概念だとは思うのですが、多様な才能の育成という課題の大きさに力不足を感じたりします。週に1度のクラスではできる事も限られてくるのですが、限られた中でも子供達の可能性を伸ばすサポートをしたいと思っていますし、可能性を狭めてしまう事があってはならないと思っています。

ある生徒さんのエピソードですが、その生徒さんはフラッシュカード(絵カード)を見ながら簡単な単語を先生の後に続いて言う事ができませんでした。更に読み書きとなるとまったく分からなくなり、僕は英語が苦手!と自分で自分の心を閉ざしてしまいました。伝統的な授業形態、先生がテキストに沿って教え、簡単な文法から複雑な文法へと積み立てていくボトムアップ式の一般的な型では効果的に学習できないタイプでした。でも、カードゲームを通してなら、単語やフレーズがどんどん出てくるのです。英語をイメージやストーリーの中でつかむ事で、すんなり頭に英語が入っていき、発話する事も「必要性」を感じているので、脳をフル回転させて知っている単語やフレーズを使おうとするのです。「勉強」したと思わせずに、「学習」に取り組めた後のその生徒さんの表情は、なんともいえない満足感に満ちていて、子供一人一人みな学習を効果的に学ぶ方法は異なるなと、改めて考えさせられました。

絵をみたり描いたりしながらだとよく学べる子供もいれば、歌を聞いたり歌ったりしながら学ぶお子さん、体を使って全身で表現しながら学ぶお子さんもいれば、理屈を考えながら言葉を組み立てて学ぶのが好きなお子さんもいる。こうした特性は、年齢が若ければ若いほど顕著に見られ、「子供はみな体を動かしながら学ぶのがベストだ」とか、「子供はみんな座って集中しているときこよく学ぶ」といった固定観念に縛られると、子供達の可能性を狭めてしまう危険性があるなとつくづく思います。

最近の研究で、少なくとも8つのタイプの能力(知性)が存在する事が分かっています。

  • 言語的知性

自己を表現したり、他者が言葉を用いて伝えようとする内容を理解したり、話の内容に反応したり、語彙や文を覚えたりする能力

  • 論理的・数学的能力

数字を処理したり、理解したり、論理的な因果関係を理解する能力

  • 空間認識能力

映像や図から情報を得たり、いろいろな配置のイメージを作ったり、空間的・地理的感覚に関する能力

  • 身体的・運動的能力

物をこしらえたり、球技やダンスなどのような体を動かす活動ができる能力

  • 音楽的才能

歌を歌ったり、歌を聞き分けたり、メロディーやズピードやリズムなどを楽しむ能力

  • 他者との関係を作る能力

他人を理解したり、協力したり、相手の意向をくみ取る能力

  • 自分を理解し、コントロールする能力

自身を理解し、他人との共通性・異質性を認識し、感情をコントロールする能力

  • 自然を認識する能力

植物や動物の多様な存在、自然世界との関係を認識する能力

 

こうした知性は、生まれながらに決まっている部分も幾分かはあるかもしれませんが、特に周囲の影響力の大きい人達が子供の可能性を信じて育てていければ、選択の可能性は無限であると思います。

公教育の現場は一斉授業ですからその子その子に合った方法を探している時間的余裕やマンパワーがないため公教育の方法が合わない子は落ちこぼしとなってしまうのですね。「落ちこぼれ」って、そのお子さん自身の問題ではなく、社会が作り出していくのだなと思います。

アークアカデミーは教師中心の指導ではなく、子供が中心の指導を進める事ができるよう、謙虚に自分達の力不足を認め、また子供達から日々学びながら絶えず成長してく学校でありたいと思っています。