先日、5歳の生徒さんが、テキストブックのクワガタの挿絵が「beetle(カブト虫)」と表記されているのはなぜなのかと、私に質問してくれました。とってもいい質問ですね!!これこそが英語と日本語の違いの気づきです。

子供の心を制する夏の虫の代表といえばカブト虫、そのカブト虫も大きさや形によって名前が違います。一方アメリカ(少なくも私達が住んでいた西海岸)では、カブト虫もクワガタもカナブンもフンコロガシも、もちろんそれぞれに学術的な名前はありますが、全てまとめて「beetle」と呼びます。日本のカブト虫のように大きくもカッコよくもないので、子供達は(大人も)beetleには無関心なように思います。言葉はそれを使う人々の関心事を反映していて、語彙は無味乾燥なようでも、人々がどんな生活をしていて、何に関心をもち、何に無関心だったかよく分かるものです。

以前、エジプトでツアーガイドをしていた事がありますが、日本人観光客から頻繁にうける質問は、エジプトの歴史や宗教といったものではなく、ずばり植物に関する事。ピラミッドの壮大な歴史と神秘を情熱的に語った直後に、「バスで移動中に見かけた、赤い花が咲いていた木は何ですか?」と、突拍子のない質問をよく受けたものです(笑)。

タンポポや白爪草をすべて「weed (雑草)」と一塊にする北米人と違って、日本人は植物を細かく分類する傾向があり、特に木に関する名前の数は世界一で、木の部分の細かいところまで名前があります。名前の付け方も詩的で素晴らしい。日本では「夢見て咲いている“水芭蕉”」が北米に行くとskank cabbage (スカンク(臭い)キャベツ)。名前の違いで、随分この植物に対する印象が違ってきます。このように植物に関しては、その語彙の多さから特別な愛情と観察力があるように思うのですが、星についてはさっぱりだったりします。金星や土星、太陽などはすべて中国からの漢語。日本人が考えた星の名前って「昴」くらい。星はあまり日本人の関心事ではなかったらしく、空を見上げて、この宇宙の果てには何があるのだろう、という哲学的な事は考えなかったようです。

このような視点で語彙をみていくと、無味乾燥な単語の中に、生き生きとした文化や歴史のうねりを感じる事ができます。英語学習をしている過程で生まれる「なぜ?」の中に、私達の文化や歴史を再発見する機会が隠されているかもしれませんね。

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