In the beginning was the Word ~John 1:1

初めに言葉があった。 ヨハネ1章1節

「英語は通じればいい」「英語は単なるコミュニケーションのツール」なんていう言葉を最近よく聞くようになりました。その言葉の背後には多分「間違ってもいいからとりあえず使ってみよう」「完璧じゃなくてもいい」という励ましの意味があるとは思いますが、「通じればいい」というメンタリティーを促すのは少し違うような気がします。言葉というものの本質は、情報を伝達するだけのものだけではなく、それを発している人間の世界観やら人間観を背負っているもの。そのため、母語や外国語に関わらず、ささやかな言葉の一つ一つに、それを発する人間の世界観や人間観が反映されるように思います。「通じればいい」といのは、別の言葉で表すと、自分さえよければ相手の気持ちなど関係ない、ということ。こういう価値観では、相手を尊敬し、自分とは違う多様性を受け入れ理解しようとする態度はなかなか生まれにくいのではないでしょうか?

昔日本には「言霊」という言葉があり、「言葉には霊が宿っている」と考えられていたそうですが、言葉は相手を励まし奮い立たせる事ができると同時に、傷づける事もできてしまいます。英語(言葉)が単なる情報の伝達というツールだけなら、AIの方がよっぽどかしこく活躍してくれる時代になってきています。でも、言葉はそれを発した人、そのものであり、命が宿った言葉は人の心の中で生き続けていくように思うので、できるだけ正しく正確に、そして大切に育んでいきたいものですね。

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